タイミングの話。
「言いたいことがあるなら
今すぐ、はっきり言ってよ!」
ってそれはそうなんだろうけどさ、
まるで【言ってくれないほうが悪い】
みたいな雰囲気って嫌だなぁ。
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人と話してて
[あ、それってあれかもね]って
ぴきーんと来ることは、それなりにある。
でもさ、そのぴきーんを、
いま、ここで、伝える必要があるか?
言い方、言葉の選び方はふさわしいのか?
って考えると、全然不出来なもので
言うに足らない内容に思えてくる。
そうやって、
飲み込んだ?わけじゃないけど、、
ボツにした!言葉は半分以上を占める。
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何のために、私は言いたいのか。
ただ言うだけで、満足するなら
いつでも、どんなでもいいんだろうけど
私は、「どうせ言うなら伝わってほしい」と
強く思う。
もし、言いたいことが言えたとしても
イマイチ伝わらなかったら
全然満足できない。
ど真ん中を射る矢を放っていたい。
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語彙力とは。
「本当に頭のいい人は
難しい内容を簡単な言葉で言える」
「で、つまり?と尋ねられたとき
一言で返せる」
というのをテレビか何かで聞いて、
ずっと私に刺さっている。
難しいことを難しく言うのは
案外簡単なこと、、?
真に理解しているならば、
自分の使い慣れた言葉で
表現し直せるはず、ってことかしらね。
本田35式認知テスト、使ってみた。
認知特性を6種類にわけた検査。
視覚優位、言語優位、聴覚優位、
という大別で、それぞれさらに2種に分かれる。
35コの質問に答えるだけで
結果を出せるので、
全部通して、所要時間は30分かからない。
知り合い何人かで試させてもらって、
なかなか使えると思いました。
幼少期からの自分を思い出して答えるので
自分ってそもそもどんなんだっけ?に
立ち返って考えることができます。
今度、私の結果を報告しまうす。
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無意味なカテゴライズ
施設の子は暴力的で可哀想な子。
学生で鬱になるのは怠け者。
社会人で病むのは弱い人。
とか。
そういうイメージや分類、
固定観念は、あまり役に立たない。
むしろ邪魔なもの、
感性の妨げになることのほうが多い。
人が
そうで在る理由や、
何かを選択した理由は、
ひとつではない上、
大別が合っていたところで
詳細までは一致することはない。
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思春期が好き
語弊をおそれずに言いたい。
やっぱり私は、
思春期の少年少女の感性が好きだ。
小学校中学年くらいで
自分を中心に世界が回っているわけじゃない
と気づき、絶望して、
そこから必死に足掻いて
自分なりの意味を見出してやろうと
這い上がってきた人たちの
他者に対する優しさは、、
水晶のように、澄んでいて、美しい。
辺りを見回す大人の様子を察知して
「はい」と一言、すました顔で
ボールペンをとってくれる子。
ノリで言っちゃったことに気づき
後悔して自分を責める子。
ここで自分は泣くものか、心配かけまいと、
気丈にふるまう子。
大人がとっくに
「そんなこと気にして、細かすぎ」
「どうでもいい」「なんてことない」
「誰も見てないわよ」
としか思えないような、些細な感性。
でも、鋭くて、きめ細やかな感性。
私は大好きです。
どうか、忘れてないで。
親世代になるまで、なっても、
忘れたくない。
忘れないでほしい。
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価値観の違い
で別れます、友達やめます、
なんて言うけれど
「価値観が違う」のは
親子や兄弟でさえあることなんだし、
まして他人同士では、当然のこと。
そこは原因ではないし、
理由にはならない。
問題は
「お互い理解し合えなかった」
「理解した上での解決策を妥協できなかった」
「そもそも理解し合いたいと思えなくなった」とか
そういうところにあるのではないか。
擦り合わせるのは、なかなか根気の要る作業だ。
何せ、イライラ、モヤモヤすげーするのに、
いちいち感情的になっていては
あまり先へ進めないのだから。
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さて、ちょっと落ち着こう私。
そもそもなんでこうなったんだっけ。
引き金になるような言動なんだっけ、
私が何かしたんだっけ。
相手のあの言動の背景は?
何か思い当たる情報あるんだっけ。
その仮説があっているとしたら…
私がどう工夫すれば相手は安心できる?
あんな言動しないで済む?
それで私のこの気持ちはどう、いつ伝えてみる?
あえてヒートアップ中の流れで?
落ち着いてるときに、わかりやすく?
それとも手紙やメールにしてみる?
今まで一番伝わったのは何だっけ?
とかね。
大切な人とのことなら、
考えることを辞めてはいけない。
でももうがんばれないってことなら、
ずっと何とかしようと頑張ってきて、
疲れちゃっているのかも、しれないね。
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就活と居場所
バイトでも仕事でも
(まぁ学校でも家でもだけど)
どこか一ヶ所でも
自分を高く評価してくれる場所があると
自信になる。
そんなのわかってるって?
否どうかな、
当たり前になってるときは
半分もわかってないとも思う。
仮にそれを失うことを想像すれば
わかるかもしれないけど、、
本当の本当に、
=自分の存在価値
になってしまってるくらい、
「そこで認めてもらえてる」というのは
今の自分が存在する意義そのものに
なり替わったり、している。
それでいつか、
「次のステップへ、新しい場所へ」
なんて余裕っしょ!
と思えてさ、手を伸ばすじゃない?
ところがどっこい。
案外、全然、微塵も、
うまくいかなかったりするんだよね。
そうするとさ、
今までの出来事や評価
だけじゃなくて
もはや自分の感覚まで
疑わしくなってきてさ。
自分は未来も希望もない、
ただの無能で無力な
人以下の何かにしか思えなくてさ、
なんかもう、
無限に絶望的な地獄が広がっていて
ツライ、 よね。